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『少女ファニーと運命の旅』を観て [育児]

<あらすじ>
ナチスドイツ占領下のフランスにおけるユダヤ人の子供たちが子供たちだけで様々な大人たちの支援を受けながら、スイスへ脱出する話。
子供たちのリーダーを任された主人公ファニーは実在し、この話そのものが事実だそうです。

<感想>
子供たちだけで生き延びられるのか?
4.5歳の子もいるというのに。
そんな心許ない気持ちで観始めた。

しかし、観ていくうちに子供だからこそ生き延びられたのだと強く感じるようになった。

脱出の道中、密告する大人にも出会ったけれども、手を差し伸べてくれる大人にもたくさん出会った。
いずれもごくごく一般の人々。
(こういう普通の人々が歴史をつくったんだな。私たちも関係ないとはいえない。)
子供だから助けてもらえたのかなと思う。


そして、これが重要なのだが、
子供たちは自身の置かれている状況を完全には把握していないがゆえか、ドイツ兵に追われて切迫した中でも、合間合間に無邪気にじゃれ合ったり、笑ったりしているのだ。この笑顔が生き延びた原動力だろう。

大人にはない心の強さだ。

さて、この映画を子供と観に行ったが、予想通り、他に子供はおらず、シニア客ばかりだった。予想通りとはいえ、やはり残念な気持ちになった。
子供が主人公なのだから、もっと子供たちが観たらいいのに、みせたらいいのにと思う。

未来を創るのは子供たちなのだから。

よくある戦争映画のような残忍さや難しさはなく、子供目線で会話や話が進むので、難しい言葉つかいもない。子供だから面白いと思えるような場面もある。(時代が違っても人種が違っても、こどものふざけ方はおんなじなんだなと思った)もちろん、背景となる第二次世界大戦、ドイツによるユダヤ人迫害などについての多少の理解はあった方がいいだろうが。
こどもは興味を持って観ていたようで帰り道、帰宅後とぽつりぽつりと質問してきた。字幕だったけれど、理解していたようだ。

こういう映画を子供にみせるときに少し躊躇することがある。というのも、大抵字幕なので、子供が漢字を読めず、一部理解できないのではないかという不安からだ。漢字を読めない多くの子供が観れるように、吹き替えがあるといいのにといつも思う。(素晴らしい映画ほどなぜか字幕)そして、今回私たちは近くに上映している映画館があったからホントにラッキーだったけれど、上映されていない地域が多いみたい。採算ばかり気にしていないで、未来への投資として公的支援をするなどして、もっとたくさんの映画館で上映されたらいいのに。いかがわしい獣医学部や小学校なんかに公的資金を投入してないでこっちに投入してほしいものだ。

なぜなら、歴史をつくってきたのは普通の人々だから。未来をつくるのも普通の人々だ。

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心の安定剤 [育児]

ともすれば

涙がこぼれそうなとき


私の心の安定剤は

やっぱりこども。


ぎゅうっとするだけで

癒されて、落ち着いてくる。


こどもが大きくなって

ちゃんと子離れできるかしら?

心配・・
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運動会終わってほっとした。 [育児]

やれやれ今年も運動会が終わった。
運動会は一年に一度の大イベントなので、ホントに大変。
子供本人は当然、パパもママも気が抜けない。

両方のじいじ、ばあばが来てくれるので、私は前日から大量のお弁当を作り始める。塩分控えめでいつもより丁寧に作るからけっこう大変。
当日の早朝、パパは家族の誰よりも早く起きて、敷物をもって学校に並んだ。しかし、すでに前に50人以上並んでたそうで。開門一時間半前には並び始めてるらしい。
開門と同時に本日一番の競技が始まる。
「最初」という意味でも「熱い」という意味でも「一番」だ。パパたちは走る、本気の熱い戦いをする。一番いい観戦場所をゲットするために。パパには申し訳ないけど、唐揚げをあげていなければ、見たかったな~。絶対おもしろい。



給食の配膳中黙ってないと立たされる。体罰じゃない? [育児]

運動会の練習中に飲水を我慢させ、
生徒を熱中症にさせた教師の記事を書いたが、その教師は着任一年で離任した。

心底安心した。

なにせ、授業参観ではいたって丁寧な言葉使いと優しい姿だったけれど、
普段は別人のようだったそうで。

教室がざわついていると、
低学年の生徒に向かって
「話してんじゃねーよ。出てけよ!」(注:教師は40代女性)
といったり、

配膳中に立ち歩いていた生徒に
「廊下で立ってろ。」
といって立たせ、その生徒が教室に入ろうとしたら
「普通の顔して入ってんじゃねーよ!」
と追い出したり。

教師がこの言葉使いでは子どももマネしてしまうよ。そして驚きなのが廊下に立たせること。私は自分が小学生の時廊下に立たせるのなど目にしたことはないし、耳にしたこともなかった。漫画の世界だけと思っていた。今も昔も大して教室の雰囲気なんて変わっていない。

廊下に立たせるっていうのは時代に逆行している気がするけれど、他の教師も教室の前方に立たせたりしている。
立たせるのはスタンダードな指導なのだろうか?私には体罰にみえるんだが。

しかも立たせている理由が凶悪な何かではない。おしゃべりしていたとか立ち歩いていたとか。罪に対する罰が重すぎ。釣り合ってない。

同じクラスを、この教師の前はもっと若い教師が担当していた。教室がざわついていたが、その若い教師は声を荒げることなく、ただ黙って生徒の方を向き、静かになるのを待っていた。さほど待つことなく、だんだんざわつきはなくなった。

力で押さえつけずとも、低学年のこどもでも自分で自分を律することができるのだと知って感心した。

もちろんこの教師は生徒に大人気。
子供からも親からも信頼されていた。

自分の怒りのままに、「指導」という名の「体罰」を子どもに課してはならない。

そして、低学年のこどもでも、ちゃんとわかっていて、そんなことをする教師のことは信頼しない。

オマケ
『給食の配膳中におしゃべりすると教室の前に立たせる』これには疑問が2点ある。
・配膳中におしゃべりをしてはいけない理由は?私の子供の頃は給食の時間はわいわい楽しく準備、食事したものだ。こどもの萎縮につながりはしないか?配膳中にしいんと静かに黙って待つなんて大人だって黙る理由がなければ無理で、おしゃべりするだろう。
・繰り返しになるが、立たせることは体罰ではないのか?立たせるほど重罪なのか?

まるで軍隊のような教育に恐怖をおぼえる。。





子供の春休みって親にはちょっとしんどい [育児]

子供が春休みに入って、
ブログが進まない。

子供のせいにするわけじゃないけれど、
1人になる時間がないので、
思考は進まないし、
ブログも書けないし、
本を読むことに集中もできないし。

子供が習い事などでいなくても、
なぞの疲労で、眠くて仕方ない。
疲労回復に時間が費やされ、
到底ブログまでたどり着けない。

まだ1人でお留守番できるわけでもないし、
基本子供のペースで時間が流れるので、
微妙に軟禁状態だ。

子供といられるのは嬉しいけど、
疲労が…(-_-)zzz

子どもが奈良で仏像にハマる [育児]

最近子どもが”日本の歴史”に大ハマり。
まぁ私たち誰もが通る道なんだが。
好きな時代は飛鳥時代だと。
安土桃山時代とか鎌倉時代とかじゃないんだ?
(私は平安時代かな。風雅な世界に憧れる♪)
しょっちゅう
蘇我入鹿とか今話題の聖徳太子とか蘇我馬子とか言ってる。

とゆうわけで、奈良に社会科見学に行ってきた。今回は歴史編。

私は奈良は以前から行きたかった。
三十過ぎたら仏像とか静かに観てみたいなと感じるようになって。(あっでも仏像マニアではないので全く詳しくない)
仏像って寺などあるべき場所にある方がずっと生き生きしている。博物館などで集められて展示してあるのは確かに見やすいんだけど、その像の背景から切り離されていて生気を感じない。だから、実際に見てみたいのだ。

でも、日数が必要なので気軽に行けないのと、
寺や仏像に興味をもてない子どもとは行けないのとで諦めていた。

ところが、ここへきて子どもが飛鳥時代が大好き☆チャーンス!早速奈良へ!

飛鳥寺や石舞台古墳はどうしても行きたいと言うので飛鳥駅からサイクリングでまわった。こどもはいつの間にか憶えてたようで各ポイントにくるとここは誰の墓だとか解説してくれる。(ガイドか?好きなことはホントにすぐやるしおぼえるよね?)そして、実物をみていたく感動している。「飛鳥に来てよかった?」と。
飛鳥寺の仏様は1400年前からいるだけあって静かながら貫禄があった。今は赤茶色だけど、当時は全身金ピカ目だけ青かったというから、それはすごい神々しいだろうなと感じた。

飛鳥時代に仏教伝来ということもあって、こどもも仏像にも興味があるみたい。よかった!古墳とか遺跡だけじゃないのね。

仏像のガチャポン三回もやらされた。
結構リアルで古びた雰囲気もでているから重厚感あり。私もつい眺めちゃう感じ。

こどもは部屋に戻るといろんな仏像の絵を描いている。
仏像は『かっこいい!』そうだ。

これからは一緒にお寺&仏像巡りできそうだね?☆



恐るべし、担任の先生問題 [育児]

保育園のときにはあまり気にしなかった問題が、
小学校に入ると最重要問題となる。
それは、
”担任の先生問題”
本当にこれでこの1年無事に過ごせるかが決まると言っても過言ではない。

今年度は最悪だった。
「水を飲ませてもらえず、熱中症になりかかり、学校に連絡入れてやっと飲ませてもらえるようになった」事件で1年が始まったから。
安心して任せられないのは辛い。

学校側の印刷ミスをなぜか子どものせいにしようとしたり、連絡帳で一対一でやりとりしていると、いちいちちぐはぐなやりとりになる。

おかしい。
知人からお子さんが担任の先生にいじめられたケースを聞いたこともあり、心配だ。(今ではそのお子さんは立派な医師だ)

授業参観に行くと、優しい雰囲気だから、思い過ごしだったのかしら?と感じたり。

なるべく気にしないようにしていたんだけど、
子どもが
「今日は○○君が廊下で怒られて、20分位立たされていたんだ。それで、教室に入ろうとしたら先生に『普通に入んなよ!』って言われてた。そういう言葉使っていいの?」
と私に聞いてきたりする。

残念ながら思い過ごしではなかったみたい。
ついでに子どもにもう一つ確認してみた。
「授業参観のとき、先生雰囲気違う?同じ?」
と聞くと、子どもは
「授業参観のときは優しいよ」
やはり。
同性の勘というか。(先生は私と同年代女性)
優等生にありがちな『みんなの前では器用にお利口ちゃん』現象だ。

しかし、あと少しで今年度は終わる!
先生ともオサラバだ。
とりあえず解放された気分。
また、来年度がどうなるかという問題もあるが、、




その我慢必要?子どもに水を我慢させる先生。ー熱中症 [育児]

「みなと同じ」を強制した結果、
命にかかわる状況となった出来事。

初夏のある日、こどもが体調悪そうに学校から帰ってきた。いつも元気に「ただいま!」と言って帰宅するのに。

聞けば、
運動会のダンスの練習中、
こどもが暑くて気持ち悪くなってきたから、
水を飲みたいと言ったそうだ。

でも、先生は「みんな我慢してるよ。」
と言って水を飲ませてはくれなかったと。

熱中症になりかかっていた。
その日もニュースで中学校で熱中症で何人も生徒が倒れたといっていた。

驚いて先生に確認すると、やはりそうだと。しかも『我慢できないのはワガママ』という認識のようだ。

こどもたちを管理し、教える立場である先生は厚生労働省のパンフレットなどでいいから熱中症について正しい知識を持ち、むしろこどもたちに教えていかなければならない。

*子供は体が小さく、予備能力が低いため、脱水になりやすい。
*また、子供は自分に起こっている状況がわからずに、「我慢」してしまう。
*熱中症や病気に対する体の耐性は個人差がある。

こうしたことを踏まえて、先生に求められるのは
*こどもたちに具合が悪いとか水を飲みたいと言うことを我慢する必要はないし、我慢するべきではないと伝える。
*水を取れていないこどもがいないか目配りすることはもちろんのこと、「具合悪くない?お水飲もうか。」と積極的に声かけする。

さて、当の先生は理解しなかったけれども(なんと!!子どもに「またお母さんに何か言われちゃうからね〜!」と言った)、幸いなことに学校側は理解が早く、(というより、学校側は熱中症対策と呼びかけていたものの、スローガン的で現場レベルでは理解が徹底していなかったのだろう)熱中症対策を進めて下さったので、一応、子供は水を飲ませてもらえるようになった。

やはり、安易に「みなと同じ」を強制してはならないし、「みなと同じ」という理由で従うべきではない。






息子の字が汚い [育児]

前回『不完全はおもしろい』と書いたけど、うちの息子は不完全すぎる!
とにかく字が汚い。綺麗に書こうとして字が下手というんじゃなくて、綺麗に書こうとしてない。
そのせいでしょうもないミスの連続。
私だってケアレスミスはあったし、なかなか完璧に克服するのは難しかったけれど、ここまではひどくなかった。
年齢が進めばよくなると思ってたけど、全然。
もっと字を大きく、といえばもんのすごく大きく書く。
文字の大きさも違う。
ひっさんをするときに紙の上端ギリギリに書いて繰り上げの数字が書けなくなる。
自分で書いた字が汚くて6と0を読み間違える。
675を657と書いちゃう。
+-間違える。
ひどい。(;´д`)はるかに予想を超えている。
その手があったか!くらいの間違え方。

ふざけてるのか?
やる気がないのか?
最善を尽くした結果がこれなのか?

勉強の字は汚く書くけれど、
絵の下書き、デッサンはきれいに描く。

やっぱりモチベーションの問題なのかな?
絵は楽しくやってやる気あるからなぁ。

書くと描くでは脳みその違うところを使ってそうだし、そこらへんも関係あるのかも。

ケアレスミスは教えて理解して直るものではなく、自分がやる気を出さないと直らない。

どうしたものか。最近の大きな悩みだ。

『不完全』はおもしろい [育児]

『完全』は素晴らしいし、完結した美しさがある。

だけど、それ以上でもそれ以下でもない。

『完全』には未来はない。

どんな想像も入り込む余地はない。

だから、退屈だし、拒絶するような冷たさがある。



『不完全』には未来がある。

いかようにもなる未来が。

どんな想像も入り込む余地がある。



子どもは不完全な存在。

だから、おもしろいし、愛おしい。
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